新時代の家づくり-個々の生き方にに応える-

ライフスタイルの変化に合わせ、私たちの暮らしと「家」とのわりもまた変化してきました。

快適さ、経済性、利便性。どれを優先し、大事にするかによって「理想の家」の選択は広がっています。今回は「平成」という時代を振り返りながら、茨城ならではの土地柄を生かした新時代の家と暮らし方について考えます。

座談会

建築家が考える茨城のこれから

どう暮らしたいか、が家をつくる

平成の30年間で、社会や経済の影響を受けながら人々の暮らしや価値観は大きく変化してきました。県内各地で活動する4人の建築家が、茨城の地域性や歴史、風土を踏まえ、建築の観点から新時代の「家」について語り合いました。

-皆さんの建築家としての歩みにおいて、「平成」という時代はおう映っていますか?

井川 平成元年は中学校卒業も年です。その後の設計事務所勤務時代に、住宅の改修前と後を紹介するテレビ番組が始まり、建築家が家づくりに関わるのは特別なことではない、という印象が広がったように感じます。僕自身の建築家像は大きく変わりました。

松田 僕は大学卒業が平成元年。バブルが崩壊してまだ尾を引いている状況でした。県外で就職して、茨城に戻って独立して約28年になりますが、確かに僕らが修行していた頃は、一般の方が建築家に家づくりを依頼するような時代ではなかったです。よく言われるのは敷居が高いイメージがあるとか。これといって営業手法も持っていなかったからね

加藤 平成が始まった30年前は23歳。独立したばかりの頃です。学生のときから古い建物の調査をしていて、社会に出てからは歴史的建築物の調査と建築設計という二本柱で仕事をしています。

振り返ると、我々設計者の仕事は設計料が発生するのだけれど、私の住む地方では設計に別途お金がかかる(をかける)ことが一般に浸透していませんでした。(今もそうですが)お客さんにはまず建築家の仕事の仕組みから説明する大変さを経験しました。

 藤井 平成2年に独立し、当時、住宅の仕事は結構あって、設計を依頼してくるお客さんは「設計料は覚悟の上」。例えば予算3000万円だった場合、とりあえず図面を書いて4000万円の見積りを出すと、不足する1000万円は持っている。現在は毎回予算合わせで苦労しますが、当時は減額調整なんてまずなかった。家を建てる方々の年齢、社会的地位がそれなりにあり、経済的に余裕があった気がします。

松田 確かに僕らが修行していた当時は、息子さんが社会人になったくらいのお父さんが仕切ったケースが多かったですね。

-ライフスタイルの変化が住宅にも影響したのですか?

藤井 昭和から平成に入った頃は、長男が親と一緒に住むという感覚がまだまだ強かった。当然そうなると家のサイズも大きくなり、お父さんもやる気を出して、金も出すから口も出すぞ、と。

井川 若い世代の人が建てるような、単世帯型住宅とは違ったということですか。子どもも一緒に住めるような大き目の家ということになりますめ。

藤井 お葬式や結婚式、町内会の集まりを自宅でやっていた頃は「自慢じゃないけれど、うちの客間すごいぞ」というのがった。でも今はその感覚がまったくない。また、従来は子どもが同居を拒否してきたけれど、今は親が子どもと一緒に住みたくない。それ以前は親と一緒に住まなきゃならないと我慢の連続だったのが、意外と本音を言うようになってきたのでしょう。

加藤 その現象は全国的なもので、茨城でも生活スタイルが平成の30年間で大きく変わりました。まず大勢の親戚や近所の人が家に来ない。それに加え、それぞれの嗜好(しこう)を前面に出すことに躊躇(ちゅうちょ)がなくなったりしていますね。今や町中に葬儀場ができ、冠婚葬祭を自宅でやる人はもうほとんどいません。

松田 今どきの単世帯は専業主婦が当たり前だった時代から一転して、共働きの夫婦を多く見るようになりました。昔のように、ごろごろする部屋(客間)があっても、実生活にそぐわないですよね。

生活スタイルで間取りに変化

-家の設計も昔に比べ自由になってきていますか?

藤井 台所の位置は劇的に変わったじゃないですか。昔は北側の寒い場所にあったものが、今は表舞台に出るようになった。当時は、茶の間と水回りの間仕切りを取ってしまったようなプランを持っていくとギョッとされました。施主の主役は絶対的にご主人で、奥さまが表に出てこれない時代だった気がしますね。

井川 僕が設計事務所を始めて家をつくったときには、もうキッチンやダイニングは家の中で一番気持ちの良い場所にしましょう、から始まりました。

加藤 建築家に設計を依頼するすそ野が広がって、若年層も気軽に頼めるようになったことに関係しているのでは。我々以外では、一つはハウスメーカーが台頭して本格的に“自由な間取り”を提唱するようになったのがこの30年だと思う。

いま、ちまたの住宅において間取りやデザインはターゲット層に入念かつ丹念なリサーチをしているハウスメーカーのプランがかなり影響していると促えています。

昨今家庭の中に妻が占める位置付けも大きくなってくるから、それを敏感にとらえた間取りをハウスメーカーが夢の未来を提案する。それを見た人たちがハウスメーカーのような考えの間取りを我々に求めてきたりします。

井川 もしかすると僕たちもそれに影響を受けている部分があるかもしれない。

加藤 気がつかないけれど、設計者の方がハウスメーカーが生み出した理想のライフスタイルに影響を受けていることもあるのではないでしょうか。例えば「吹き抜けのある家」とか「収納力抜群の家」とか、我々が散々付加価値としてつけていたエレメントをハウスメーカーがうまく読み解き、ユーザーに提示したものを売れ筋に敏感な設計者が取り入れているのが現状じゃないなあ。

-ハウスメーカーは皆さんにとってライバルですか?お互い影響を受け合う存在ですか?

松田 建築家で建てる住宅は、それぞれの家族にしっくり馴染むことが一番の価値であって、ハウスメーカーの価値とは必ずしも一致しません。お金で換算できない部分に価値観があり、比較するのは難しいと思っています。

井川 (事務所を構える)稲敷市周辺では平成始めの頃はハウスメーカーが建てた家は少なかったです。いつしかハウスメーカーが参入してきて、今となっては地元の工務店さんが少なくなっている感じです。

藤井 昔は大工さん、いわゆる棟梁がいて、その地域を仕切っているというというか。この地域はあの大工さん、あの棟梁にお願いしようとなる。それ以外に選択肢がなかった。それが、棟梁の力が弱まったのかハウスメーカーが強くなったのか、お屋敷にハウスメーカーの家が建つことが許される時代が来てしまったんです。人のつながりがだんだん失われてしまったこともあります。

井川 お客さんの選択肢が増えてきたのがこの30年と言い換えることができますね。

加藤 自由になった反面、地域性を見出すのが難しくなりました。ハウスメーカーなどによる家がたくさん建ち並ぶようになったことも一因でしょう。現代は環境が異なっても断熱・気密・耐震性を担保できるから、同じ形の家が北海道から沖縄まで建っていてもおかしくないし、現にそういったことが起こっていますよね。

藤井 隣同士の2つの家族が、同じハウスメーカーの同じプランで建てたとする。でも本来は住む人が違い、環境も違うので、本来は住む人が違うんだから、同じ設計者が建てたとしても違う家ができなきゃおかいいのではという違和感があります。

松田 そもそも家のつくり方がハウスメーカーと僕たちとは違う。外観は一緒だったとしても、間取りはお客さんの要望通りにコーディネートされている。客層の需要がどこにあるのかで一定の違いがあると思います。快適で健康な暮らしを末永くするために、「家族には幸せになってほしい」と思って家を建てるのが現代ではないでしょうか?

加藤 人って、一般的な間取りであれば住みこなせるし、住み方の個性も出せるんです。では、現代において我々の存在意義をどう見せていくか。それは個性かもしれないし、生き方かもしれない。以前、私の生活スタイルを知った方が仕事を依頼してきたことがあります。コーヒーの布フィルターを型紙から起こして縫っている写真をフェイスブックに上げたことがきっかけでした。そんな生き方が相手に見えて、仕事に結び付くおもしろさもあります。

藤井 誰でもよかったら入札になってしまう。加藤さんがよくて仕事を依頼する、それが本筋でしょう。最近はデザイン能力だけでなく、設計者との相性があって。やはり人間同士ですから。

加藤 そうやってお願いされるのはこの仕事ならではかもしれないですね。

環境と共生する理想の住まい

-省エネ化が進み、家の性能はどんどん進化しますが。

井川 最近では住宅性能を高めるために、窓を開けずに締め切っていれば快適ですよという法律に向かっていますが、自分の住みたい家はそうではない。そうはいっても法律がありますから、どうバランスを取り、自然環境を取り入れていくかを探っています。

松田 お金をかけて高性能な家を建てるのは難しいことではなく、難しいのは、場所に見合う快適性と省エネのバランス。住宅ローン生活する上で共働きをしていかなければならないとすると、30年。下手をしたら50年働ける健康な体が必要です。そうすると平均寿命ではなく、健康寿命も伸ばしていかないといけない。

井川 都心部で自然とか外光があまりない家なら締め切った家はすごく快適でしょう。でも、まだまだ茨城の地方はそういうところばかりではないから、周りの自然環境を利用する家を設計していきたいと思いますね。

松田 つくばでもお屋敷といわれる家が多く存在し、大きな庭もあります。老夫婦が管理するのは大変で、つくばエクスプレス(TX)駅近くのマンションへの住み替えが現実に起きています。本県でも年齢・家族形態の変化に合わせて居住地を変える時代に入ってきたと思います。家を建てたからといって、ずっと住み続ける必要はないということです。

藤井 ちょっと違うけど、日立市内で国道6号の北にある山側に住む方々が、海側のマンションに移動している。高齢になって、雪があると上がっていけないし、買い物が大変だから。持ち家を売って引っ越すのです。

加藤 終の棲家としてではなく、他に移り住む選択肢がこれから多くなりそうです。

-新しい時代の住宅は、どうなっていくのでしょう。

松田 「働き方改革」によって、茨城県でも地方移住や二地域居住、または2拠点ワーカーやノマドワーカーなど、働き方を選ぶ時代になっていくと思います。例えば遠方に周5日の通勤が、コワーキングまたは在宅勤務でいいとなれば、家にいる時間が長くなる。家というモノの所有ではなく、これからはモノからコトへと、家で何をするかという人生を楽しむ家づくりにシフトしていくと思っています。

職場にはちょっと遠くて通勤は大変な場所でも田舎で暮らしたいという人たちが出てくるかもしれない。気持ちいい風を取り入れたいとか、環境に合わせた発想のお客さんが出てきて、昔ながらの茨城らしい生活が戻ってくる可能性もあるのではないでしょうか。

井川 働き方が変わるからか。それはあり得るかもしれない。

加藤 歴史的建造物調査を始めて30年になります。県内では開発を免れて残った、歴史的に価値のある建物や街並みが多くあります。これからはそれら「残された遺構」の保存や活用も重要です。

井川 TXが開業して県南地域の環境は変わりましたが、茨城では、自然と共生した生活をしたいという人がすごく多い。仕事ばかりで家にあまりいられない、それでも時間をつくって子供たちと楽しく暮らしたいというニーズはこれからも増えていくといいし、茨城らしい家として増えていったらいいなと思います。そこで過ごした子どもたちが大人になって、茨城の環境で楽しく過ごした思い出を次の世代に伝えていったらうれしいですよね。

藤井 家って家族ですよね。家族のつながりが何といっても大事。茨城は真っ平でこんなに土地があるのだから、近くに家族がいるとか、ある程度の距離にみんなで住むことができる。

茨城県ならではの住宅のデザインとかタイプというのはないのですから、そんな住み方が茨城県の中でできるのではないでしょうか。

井川 茨城だからこその働き方があるのではと思っています。コワーキングを含め、新しい生活スタイルや暮らし方をどこよりも先駆けて実現し、それに合った暮らし方が生まれてくる気がします。とても期待しています。

加藤 これを期待で終わらせるのではなく、まだ見ぬ新しい提案をしていくことが建築家の役目だと思います。茨城に暮らして、建物について、住むことや環境問題などについて何をどう提案していくか。常に自分のためでなく社会のために何ができるかを考え、責任を負うのが建築家じゃないかと思っています。東京にいても地方にいてもどこにいても同じ提案する大切さを感じています。

茨城新聞2018年(平成30年)10月25日(木曜日)より抜粋

 

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